50MHz○

6mWACまでの軌跡


 はっきり言って、50MHzのWAC(6大陸交信)なんて、今となってはありふれているし、自分自身もこの1年の間だけを切り取っても6mWACは完成しています。それでも、僕にとってはこの春に完成した6mWACはとても嬉しかった出来事です。そこで、WAC完成までの6交信を振りかえってみました。


アジア

1982/2/24 16:36 JF2XPL 50.150MHz SSB 59 59
IC-551 10W out + 6el Yagi-Uda(CL6DX) 13mh

 当時、中学1年生。学校から帰ってきたら、無線局免許状が到着していて、早速CQを出したっけ。そしたら、すぐにJF2XPL梶山さんが呼んできました。始めは「怖そうなお兄さん」だった存在のこの方も、高校生の頃にはローカル局として付き合っていただきました。非常に「6mマン」らしい方で、僕に与えた影響も大きいです。しかし、この方もいつしかQRTしてしまい、今では年賀状のやり取りくらいのお付き合いになってしまいました。アジアは当然JAでGETです。もちろん、これが僕の1stQSOです。


オセアニア

1982/4/8 19:06 YJ8YS 52.035MHz SSB 59 59
IC-551 10W out + 6el Yagi-Uda(CL6DX) 13mh

 開局して1ケ月ちょっと。なぜか52MHzまでダイアルを回したら、強力に聞こえるこの局を発見。JA以外の信号を聞いたのは初めてで「YJ8YS? こんなコールサインがあるのかな? でも日本語だしい」なんて思って呼んでいたらQSOできました。バヌアツ諸島からの電波は強力で、QSOできた時は「海外とQSOできた!」と有頂天になっていました。
 しかーし!! この局はQSLカードを出さないことで有名らしいです。QSLマネージャーとしてJAのコールサインを言っていたのでJARL経由で出しましたが、結局、カードはGETできていません。

 んでもって、次にQSOしたオセアニアはVK4ZYZでして、この局からはカードGETしてます。

1982/4/10 17:50 VK4ZYZ 52.110MHz SSB 59 59
IC-551 10W out + 6el Yagi-Uda(CL6DX) 13mh

 サイクル21の下り坂。この頃はオーストラリアの局は52MHz台しか出れなかったんですねー。

 この年の秋、LU6DLB(?)という局を聞いていて、10Wながらも一生懸命呼んだんですよ。「JG3 again?」って返ってきたけど、その後はQSBの谷間へ信号は落ちてしまってQSOできなかった。当時の記録を見ると、CX4BA、PP5WLなんて局も聞いているみたい。でもQSOできてないのねぇ。

 これでサイクル21はお終い。


北米

 サイクル21と22の間のボトムは自分は高校生で、移動運用やJCC、Gハントに明け暮れていました。
 サイクル22の立ち上がりは思いのほか早く、大学2年生になった1988年にはいろんなDX局が聞こえるようになりました。
 2アマも取り、自作のリニアで50Wに増力。(このリニア製作にはJM1WBB関さんに大変お世話になりました。当時、八王子のアパートに住んでいて、自転車に作りかけのアンプを載せては関さん見てもらいに行ったりしたっけ。) 自宅のアンテナも8エレにしました。
 普段住んでいる八王子のアパートにはダイポールアンテナしか上がっていませんでしたが、帰省した際には自宅からこの設備でオンエアしていました。
 文化祭休暇で帰省していた時にQSOできたのがこの局です。

1988/10/28 08:10 K6STI 50.???MHz CW 559 459
IC-551 + 2SC2290*2 50W out + 8el Yagi-Uda(CL6DXZ) 18mh

 ハイスピードのCW、信号があまり強くなく、自分のところに応答があったのが確実に確認できずに戸惑ってしまった。この局の他にもこの日は数局の北米の局が聞こえていたけれど、この日にQSOできたのはこの局だけでした。しかし、この局もNo QSLerとして有名らしく、カードはGETしていません。
 ちなみに、かの有名なアンテナシミュレーションソフト、YO/AOの作者ですね。

 大学3年になって、府中市に引っ越しました。1989年の春。JI1OQH小川さんとラグチューしている中で「今年の秋は絶対DXがオープンするからアパートにアンテナ上げなよ!。」なんて話がありましたので、引っ越す時もアパートはロケーション優先でした。
 大学のある新宿からは少し離れていましたが、分倍河原駅の近辺は家賃も安く、物件も色々ありました。少しだけ盛りあがっている丘の上に建設中のアパートを見つけたので、早速大家さんに「屋上にアンテナを上げさせて欲しい。」と頼みました。「契約書の禁止事項になければ良いよ。」ということで、すぐに契約してしまいました。
 東から南回りで西まで見下ろすようなロケーション。屋上に4エレのHB9CVを立てさせてもらい、授業の無いときはワッチばかりしていました。JA2IGYなんか常に聞こえていました。
 アンプはHL−66Vで、当時でもあまり戦闘力のあるものではありませんでした。しかし、「平日の昼間でもワッチできることがある。」というメリットは大きく、いくつもの北米とQSOしています。


1989/11/7 09:26 AL7FH 50.???MHz SSB 59 51
TS-660 + HL-66V 50W out + 4el HB9CV 13mh

 このAL7FHもアパートからQSOしたものです。このアラスカの方が、USAよりも近い分、入感する頻度は高かったと思います。
 アパートからはロングパスのカリブなんてのも聞いているのですが、さすがにQSOできませんでしたねぇ。


南米

 1989年春。サイクル22も絶好調でした。
 春休みで帰省中にQSOできたのが、LU8MBL。

1989/3/28 11:47 LU8MBL 50.???MHz SSB 52 55
IC-551 + 2SC2290*2 50W out + 8el Yagi-Uda 18mh

 1982年に聞こえたけどQSOできなかった南米とQSOできたのは、その7年後の1989年になってしまうんですね。しかし、この局もカードGETしてない〜。LUとはこの他にも10局くらいQSOしていますが、ビューロー経由でQSLカードが来たのはLU8AHWだけだったりするんだな。10局もやっとけば1局くらいはビューロー経由で来るだろと思ったら、本当に1局しか来なかったという。
 それじゃ、南米で初めにGETしたカードは何か?と言うと、KB6SL/CE3だったりします。チリですね。この局、サイクル22ではアクティブだったなぁ。アパートからでもQSOできちゃった。

1990/2/26 09:14 KB6SL/CE3 50.???MHz SSB 59 56
TS-660 + HL-66V 50W out + 4el HB9CV 13mh

 他にもCX数局とサイクル22ではQSOしているけど、「誰か1局くらいはビューローでくれないかな?」という予想にに反して1枚もGetできていなかったりする。PY5CCなんて、SASEで返信が来た後に、ビューロー経由でも同じデータのカードが来たのに。


アフリカ

 1989年5月。ゴールデンウィークで帰省中にローカルと移動運用に出かけました。そこは西方向へ抜群のロケーションでした。DXとQSOする気はなく、国内移動運用の迎撃移動だったんですが・・・

1989/5/3 22:34 VQ9QM 50.???MHz CW 599 599
IC-575 + 50W out + 6el Yagi-Uda 10mh

 CWでひょろひょろと聞こえてきたので頑張って呼んだらQSOできちゃった。コールバックがあった時はあまりの緊張に符号が乱れてしまい、みっともなかったのを覚えています
 アフリカと言っても、チャゴス諸島という島で、本土じゃないんですね。でも、アフリカには違いありません。。


ヨーロッパ

 1989年春に59+で9H1BTなんかが聞こえたのですが、パイルに負けて、結局QSOできず。
1991年には「ヨーロッパ迎撃」なんてのもやってみたのですが、聞こえたのはひょろひょろのCTが1分くらいだったりして、ヨーロッパの局とのQSOには見放されていました。
 1992年になると、明らかにコンディションが落ちているのが分かり、サイクル22は終息へ向かいました。その頃、「あぁ、サイクル22もこれで終わりか、6mWACも次のサイクルまでお預けか。」と思ったものです。

 そして、サイクル23を迎えます。就職し、転職し、実家に帰って来ました。
仕事をするようになったので無線への投資も学生時代よりできるようになり、JST−245なんて無線機を手に入れました。ベアフットで100Wも出るなんて、うれしかったなぁ。
 また、自分のアンテナ技術も少しは上がりました。限られた敷地でもパフォーマンスの良いアンテナを作ろうと、YOでいろいろと研究し、帯域が1.5MHzもあるのに、それなりにちゃんとフロントゲインのあるアンテナを製作して、ルーフタワーを目一杯高くして、今年の春を迎えました。今サイクルの目標は「1エンテティーでもヨーロッパとQSOして6mWACを完成すること。」です。
 1999年6月、Eスポマルチホップでヨーロッパが開けたようですが、うちでは聞こえません。UN3GとはQSOできたけれど、アジアだし・・・。
 1999年11月、インド洋スキャッターでOH2BCを聞きますが、猛パイルでQSOできず。なかなかヨーロッパとはQSOできません。
 2000年3月、時々、ロングパスのヨーロッパが開いているのは情報として知っていたのですが、中々QSOできるようなチャンスがありませんでした。いくら自営業と言っても、そんなに頻繁に平日の朝にワッチできませんからねぇ。それでも、時間があればWebクラスターを覗いたりして、オープンに備えました。

 で、やっとでQSOできたのは・・・

2000/3/10 09:02 EH7KW 50.???MHz CW 559 559
JST-245 + 100W out + 7el Yagi-Uda 20mh

 実はWebクラスターを仕事中に覗いてオープンに気づいたのです。スペインと言えば、紛れも無くヨーロッパ。しかし、仕事が結構忙しく、なかなか抜け出せません。何とか抜け出してシャックに来ても、携帯電話がなり、なかなかワッチできません。
 やっとのことで、ダイアルを回して、ビームを南に振って・・・聞こえてきました! EH7KWです。かなりハイスピードのCWなのですが、信号が弱く完全にはコピーできません。こちらから同じ速度で打っても、了解してくれるのが大変そうです。
 呼ぶ局は少ない感じですが、1回呼んだだけではコールバックがありません。3回目くらいのコールで「JG2?」と返って来ました。慎重に慎重に・・・3回ゆっくりめに自分のコールサインを打ちました。しかし、フルコピーしてくれていません。結局、自分のコールサインは10回くらい打ったのではないでしょうか? とうとうフルコピーしてくれQSOが成立しました。嬉しかったなー。アフリカとのQSO後、11年もリーチのままだったんだもんね。こんなに時間掛かったけど、やっとで6mWAC完成。18年も掛かってしまったわい。


 6mWAC完成までに、こんなに時間掛けてしまう人も珍しいかもね。ゆっくり完成するのも中々味があってよいかも。出力もそんなに出さず、ビッグアンテナも持たず、それでも何とか6mWACが完成したんです。
 これからもこんなにのんびりしたペースでアマチュア無線を楽しもうと思っています。


おまけ
12/29に飲み会が行われ、50MHzWACを完成した5人(JF2TAR,JG2TSL,JJ2GMH,JM2RUV,JQ1AHZ)がその場でGCRをもらい、飲み屋から出た後飲み屋の前のポストから投函しました3ヶ月後、到着したのがこのアワードです。
上の文章は下線のあるところをクリックすると写真が見られるよ。

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